一休宗純
最近「一休宗純」について調べています。
いわゆる、とんちの一休さん、ですね。
一休さんについて調べようと思ったのは、陰陽五行論塾で一休さんが悟りを開いた一節について語られる機会があり、印象深くて調べようと思ったからです。
それでは一休が悟りを開いたストーリーを紹介しましょう。
洞山三頓の棒
僧が悟りを開くためのヒントとなる話が1000以上あり、その話のテーマの一つとして「洞山三頓の棒」という話があり、一休さんはこの話から悟りを開いたと言われています。
中国唐代の高僧洞山守初(曹洞宗立宗者の一人)が若い頃、師の雲門分堰から、どこから来たか、どこで過ごしたか、などと問われたので、これまでの行脚のあとをこまごま答えると、雲門は「このうつけ者が。三頓の棒をくれてやるところだが勘弁してやる、即刻立ち去れ。」と叱らはった。何がなんだか分からない洞山は、再び雲門に参じ、自分の答えのどこが悪かったのかを問いなおすと、またもや大声で叱りつけられはった。けどその瞬間、洞山は師が何を求めようとされていたのかが分かり、初めて悟ることが出来たというのです。
そして、悟りというものは師や周りからもらえるものではなくて、自分への問いかけの中から見つけ出しつかむもの。そのためには、心の中のこだわりを一切捨て切り、爽やかな心に立ち返りなさい、それが分からない者は棒で叩くよりない、というのがこの公案の教えるところやということです。
一休が開いた悟りはこちら。
「有漏地より無漏地へ帰る一休み 雨ふらば降れ風ふかば吹け」
これが「一休」という名前を授かることになったとも言われていて、独自の世界観で悟りを開きました。
知らない単語があると思うので先に補足しておきます。
有漏地=煩悩の世界=現実
無漏地=煩悩のない世界=あの世
と、解釈しています。
つまり、今の状況っていうのは煩悩世界である現実から、あの世へ向かう旅路の中での一休み。雨が降るなら降ればいい風が吹くなら吹けばいい
ということを詠んだと言われています。
この句をどう解釈するのか、というと人それぞれ受け取り方があると思うのですが、僕自身は自分がおかれている状況を超長期的に捉えて、
その上で「大いなる歴史の中では今の時間は一瞬に過ぎない」、そんな現実を「喜びも儚さもそのまま味わってしまおう」という気概を感じてとても印象に残りました。
今に集中していると、目の前の結果に一喜一憂してしまって、落ち込むこともがありますが、そういった環境を一休みって表現するのもすごいなと。
一所懸命生きているときに、これを一休みって自分は表現できるかな~、いや、難しいだろうなと思った次第です。
敦盛
また、織田信長が愛したと言われる「敦盛」に似た印象を感じました。
これもwikiから引用しておきましょう
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか※ 「人間(じんかん、又は、にんげん)五十年」は、人の世の意。 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」という意味になる。現代において、「(当時の)人の一生は五十年に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言ってるわけではない。
人間の人生は一瞬で、儚いもの。
一所懸命生きよう
両方の話から、僕は「今を一所懸命生きよう」そんなメッセージを感じています。
過去を引きずらず、未来に不安を感じず、今に集中する、そんなことが大切なんじゃないかなと感じた次第です。
陰陽五行論塾 in大阪
さて、今日はそんな感じで僕が今とてもハマっている陰陽五行論塾の大阪版がスタートするので紹介します。
陰陽五行論とても面白いですよ~、帝王学と言われているだけあって、東京は社長が多いです。
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質問があればなんなりと。
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